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2005/12/15

管理人・マリサポ史 その2

管理人のマリサポ史 その2
千葉ロッテマリーンズ誕生!バレンタイン第1次監督へ

92年4月18日。管理人は千葉マリンスタジアムの内野2階席にいた。千葉ロッテマリーンズVS西武ライオンズ。スクラップ用のスポーツ紙記事によれば試合結果はつぎのとおり。
ライオンズ 120000010 4
マリーンズ 02005020  9
L:●渡辺久-竹下-新谷-鈴木哲
M:○前田
4月4日のブルーウェーブとの開幕戦とおなじ35000人の満員札止め。
マリーンズ:前田幸長、ライオンズ:渡辺久信の先発。
2回、1点差まで追い上げたマリーンズは5回、ファアボール、安打などで無死満塁でバッター初芝。
マリンの右中間スタンドインの逆転満塁ホームランを放ち、マリーンズ勝利!
ちなみにこの試合でのマリーンズのスタメンは中堅・西村徳文、左翼・平井光親、右翼・マックス、DHディアズ、二塁・堀幸一、一塁・愛甲猛、三塁・初芝清、捕手・青柳進、遊撃・南渕時高。
初芝が神と思えた日だけに感慨深いものがあり、マリーンズ6冠の今季までプレーし続けたことは賞賛に価するものがあった。
週刊ベースボールで某マリーンズ応援サークルが紹介されていたので入会し、今もなおメンバーとして会誌製作などでお世話になっているが、師匠というべき某メンバーとの出会いが大きく、野球の見方が大きく変わったことは言うまでもない。
この年は10試合観戦するにとどまったが、93年は「もっとアクティブに行こう!」というわけで、マリンに限らず、グリーンスタジアム神戸の開幕戦を皮切りに東京ドーム、福岡ドーム、西武球場、藤井寺球場などにも遠征し、8月の大沢親分の伊良部クラゲ発言の1週間前、藤井寺球場で伊良部-野茂の直接対決で投げ勝ったのを見ていたが、伊良部大ブレイクのきっかけとなった。
八木沢監督休養、中西太ヘッドコーチが監督代行に取って代わった94年8月、サンスポで広岡達朗氏がマリーンズGMに就任、ニッカンにボビー・バレンタイン監督就任のスクープ記事が相次いで取り上げ、マリーンズの歴史を大きく変えることとなり、92年の千葉移転からファンクラブに継続入会してきたが、現在のユニフォーム(縦じまの戦バージョン)変更に合わせ、新ユニフォームシャツをファンクラブ景品に加えたことがマリーンズ応援革命のきっかけとなった。
6月中旬までは「監督が代わっても、しょせんいつものマリーンズ」低迷状態だったのが、それを境に快進撃を続け、ライオンズを抜いて2位浮上、9月15~17日の「グリーンスタジアム神戸大決戦」を迎えることとなり、この年優勝したブルーウェーブを3タテし、仰木監督の地元胴上げを阻止!まではよかったが。
広岡GMとの確執が表面化、1ヵ月後のバレンタイン監督不当解任と、後味の悪いシーズンオフとなり、「失われた10年」が続くことになる。
96年、江尻監督のもと、マリンでの開幕戦(VSホークス)は伊良部ではなく、園川一美先発。王監督が「開幕投手にも格ってもんが…」雨のなか、工藤に投げ勝ったが、6月のホークス戦のマリン。 「江尻やめろ!」「広岡出て来い!」怒号が響いた翌日デーゲームは何と応援ボイコット。モロ(諸積)のサヨナラタイムリーで勝ったのだが。
シーズン最終戦になって江尻・広岡両氏解任が発表されたが、来季メジャー表明の伊良部ラストゲーム飾るもマリン入り口にはマリサポが押しかけ、当時の球団代表が謝罪、近藤昭仁監督が就任することになる。
97年の開幕戦in東京ドーム。小宮山&ジョニー黒木で連勝し、最下位も小坂誠新人王に輝き、福浦和也&大塚明(立川隆史も)大ブレイクと、6冠戦士がこの頃から台頭するのだが。(あすに続く)

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