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2005/12/17

管理人・マリサポ史 その4

管理人のマリサポ史 その4
インターネットでひろがる応援仲間の輪

「強いチームでやりたい」と言い残して辞めた近藤昭仁監督に代わり山本功児監督が就任した98年オフ。
当ブログのコメントでお世話になっているKATTさんと大阪ドームとかグリーンスタジアム神戸、甲子園などへ遠征に出かけていたが、以前からパソコンをやっていて、管理人がパソコン通信を知るきっかけとなった。
91年頃からワープロいじりを趣味としていたが、この頃となるとワープロも進化してパソコン通信やインターネット機能付きまで出現した。そこでNIFTY-SERVE(現・@nifty)に入会し、PATIOとか、プロ野球フォーラム(FBBPRO)千葉ロッテマリーンズ会議室において積極的にカキコ、発言するようになった。そこで毬印団の登場である。
天下盗り匠@上村さん「マリーンズリーグ優勝記念・俺とマリーンズ」より引用
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~毬印団とは~
旧・nifty-SERVE プロ野球フォーラム(FBBPRO)の千葉ロッテマリーンズ会議室内の、千葉ロッテマリーンズ応援団体。内野自由席であれば、マリンスタジアム37番通路の、スコアボード下に集まっている。
昔は、@niftyのPATIO(有料)でも、わいわいやっていたのだが、PATIOのサービスが終了してしまい、ネット上で集まる場所がなくなって、流浪状態ではある。
一応、現在も@niftyのマリーンズ掲示板自体はこちらに現存するわけだが。
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ぴろさんをはじめとする毬印団における付き合いがはじまり、応援仲間の輪がさらに拡大することとなった。
99年から毎年恒例の鹿児島キャンプ見学旅行がスタート。この年のみ、選手と同じ鹿児島・サンロイヤルホテルに宿泊し、展望風呂とか、エレベーター内で選手とニアミスしたり、貴重な体験をさせていただきました。
帰ってきたあと、「10分でインターネットができる?」TVCMに触発される形でIMacを購入。インターネットをはじめたが、プロ野球各球団とか新聞のホームページなどをみたりして悦にはいり、やがて応援系のサイトをネットサーフィンする日々。当時はテレホーダイ頼りで、フレッツ・ADSL導入は02年に入ってから。
この年、7月7日に「七夕首位」に立つなど快進撃も失速。ジョニーの「最後まで頑張るぞ!」ヒーローインタビューは感動モノだった。
2000年、準本拠地?宮城球場初見参も5年後に「フルキャストスタジアム宮城」として生まれ変わるのも知らず、典型的な地方球場に驚くばかりでしたが、そこからはじまったサンデー晋吾旋風。オフにWindowsマシン導入。山本監督の5年間、この間コバマサ・里崎・川井・清水直行・今江・西岡らが入り、4,5位の往復であったが6冠の基礎をつくりあげたことは確かで、02年に千葉ロッテマリーンズ応援団が毎日スポーツ人賞・文化賞を受賞、03年オフ、バレンタイン監督復帰が実現した。
04年、大阪近鉄バファローズ・オリックスブルーウェーブの合併に端を発した球界再編は千葉ロッテマリーンズをも巻き込み、福岡ダイエーホークスとの「もうひとつの合併」が噂され、辛うじて千葉ロッテマリーンズが生き残ったことは今季の革命的ファンサービス向上へとつながるわけだが、あと一歩でプレーオフに出られず、捲土重来を決意して05年を迎えることになる。(あすに続く)

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