【訃報】山内一弘さん
プロ野球の毎日と大毎(現ロッテ)などで強打者として活躍し、ロッテと中日で監督を務めた山内一弘(やまうち・かずひろ)氏が2日夜、肝不全のため川崎市の自宅で死去した。76歳だった。
愛知県出身。1952年に毎日に入団し、「ミサイル打線」と呼ばれた強力打線の中心として活躍。60年に本塁打王と打点王を獲得して優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に輝いた。64年に小山正明投手との大型トレードで阪神に移籍。68年には広島に移り、70年限りで引退した。現役通算成績は2271安打、396本塁打、1286打点、打率2割9分5厘。
79年からロッテ、84年からは中日で監督を務めた。2002年に野球殿堂入りした。
山内元監督に哀悼の意 ロッテ1軍キャンプで黙とう(スポーツニッポン)
2日に肝不全で亡くなった、故山内一弘元監督に哀悼の意を込め、ロッテの1軍キャンプ地、沖縄・石垣島で黙とうが捧げられた。練習開始前に首脳陣と選手、スタッフが全員集まり、センターポールに掲げられた半旗に向かい30秒間の黙とう。広島での現役時代に指導を受けた高橋打撃コーチは「僕の師匠なんで…」と神妙な表情。石川球団副代表は「ロッテの大先輩であり、球界の大先輩である山内さんのご冥福をお祈りします」と話した。また、2軍キャンプ地の千葉・鴨川でも練習前に黙とうが捧げられた。
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敢えて付け加えるとすれば、オールスターゲームでは毎年のように快打を放ち、
「オールスター男」「お祭り男」「賞金泥棒」などと呼ばれたこと。
(ウィキペディアより)教え出したら止まらない指導ぶりから「かっぱえびせん」。
落合ドラゴンズ監督のプロ入りまもない時期、「おまえのフォームじゃ、インコースが
打てないから、プロでは無理だな」などと、決めつけながら、その落合が活躍し出すと、
「私は、これまでの自分の指導方法が間違っていたとは思わないので、これからも同じ方法で信念を持ってやっていく。が、落合の出現によりもうひとつ別の角度から野球を考えてみることができた」(落合博満「なんと言われようがオレ流さ」より)
80,81年に監督としてオリオンズを前期優勝に導く。
01~02年シーズンから2年度くらいマスターズリーグ・札幌アンビシャス監督。
07年3月24日のマリンスタジアム開幕戦で始球式の大役を務めたこと。
元監督でも、稲尾和久さんの時と違い、マリーンズ公式サイトにお悔やみ記事がないこと。
と書いたら、公式サイトにお悔やみ記事が出ました。
いい野球人でした。惜しい野球人を亡くしました。
改めて、山内一弘さんに菊。
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